3大特撮ヒーローフェスティバルに行ってきました~( ^∀^)

✩会場マップ✩

IMG_2889     ランチはヒーローカフェで食事(カレーライス・ミートスパゲティ)をしましたが、味はイマイチでした(T▽T)

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プレイランドでデンライナーに乗ったり、ボーリングやボール投げなどして遊びました。

ボーリングではピン(6本)を全部倒すと仮面ライダーのシャボン玉がもらえるので頑張って2回投げましたが、4本しか倒れず参加賞(トッキュウジャーのお皿とお箸)を貰ってとても喜んでいました(≧∇≦)/

 

 

次に3大特撮ヒーロースペシャルステージショー「出発進行!銀河のイマジネーション」は仮面ライダー&スーパー戦隊がメインでしたが、とても迫力があり子供も大人も興奮しながら見ていました。  オススメです(-^〇^-)IMG_2893IMG_2899

IMG_2922 3大ヒーローとの写真撮影はスケジュールが決まってたので、息子達の大好きなヒーローの時に撮りました~(^Д^)

この日はトッキュウジャーと仮面ライダー鎧武が人気でした♦♫♦・*:..。

 

 

    kataoka

 

介護職員に紹介したい曲【その2】~利用者様からの謎のお返事~

この前、若い職員さんが、ある大正生まれの利用者様に「私は美人ですか?」とか「◯◯さんは若いとき美人だったでしょう?!」と聞くと「色は黒いが、◯☓△じゃ美人」という謎のお返事をもらう。という話をしていました。「◯☓△」の部分が全然わからないとのこと。コミュニケーションがあまりスムーズではない利用者様なのでそれ以上は分からなかったみたいです。

それもそのはず、元ネタを知っていないと全然わからん大正ジョークなのですよ、これは!!さて、彼女の言う「◯☓△」とは何なのか、元ネタってどういうことなのか??

結論からいうと、この歌が元ネタなんです!!

とーっても変な曲でしょ?!もうタイトルからしてねー(笑)それはさて置き、謎の答えはわかりましたか??あんまりよく分からなかった皆さんの為に歌詞を見てみると・・・

「酋長の娘」

一、わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人

二、赤道直下 マーシャル群島 ヤシの木陰で テクテク踊る

三、踊れ踊れ どぶろくのんで 明日は嬉しい 首の祭り

四、踊れ踊れ 踊らぬものに 誰がお嫁に 行くものか

五、昨日浜で見た 酋長の娘 今日はバナナの 木陰で眠る

さぁこれでわかりましたね!!「◯☓△」の答えは「南洋」なんですよ!そして、美人というキーワードから連想した大正ジョークだったんですよ!!

今、考えるとかなりステレオタイプで差別的な内容(*_*; まぁそこは時代のせいにしといて・・・因みに「ラバさん」とは英語の「ラヴァー(lover)」恋人って意味です。

では、南洋とはなんのことなのか??これは東南アジアやオセアニアの地域を指す戦前の言葉です。先の「ピンゲラップ島からの脱出」の舞台もこの地域です。

images地図

日本と南洋との関係は結構長い。南洋はヴェルサイユ条約により、日本の委任統治領となりました。大正11年(1922)にはパラオ諸島のコロールに南洋庁が開設されています。それから1945年の終戦まで統治という関係が続きます。

☆当時の南洋庁と今の元南洋庁

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つまりこの頃、「日本は南洋を統治下にすることに成功した!!」という大大大ニュースがあったのです。簡単にいうと当時の日本は南洋ブームだったんですよ!

すると当然、南洋にモチーフに数々の流行歌も。その一つという訳です。

さあ、90歳以上の方に「ラバさんって歌、知ってます?」と聞いてみましょう!

※きっと「酋長の娘」といっても誰もわかりませんので、悪しからず。

半分くらいの方はご存知だと思いますよ(^_^)v

kawaguchi

 

ピンゲラップ島からの脱出 その1

前回、介護現場で聞いた貴重なお話は語り継ぎたいという話をしていましたのでその第一弾!!

これはある利用者様の戦争体験。あんまりにドラマチックなので紙芝居仕立ての物語にしてみました。

当然、記憶違いのところはあるでしょうが、寝屋川に住んでおられる、高齢者が実際に経験された事実をもとに書いています!!情報不足のところは、私の想像も入っているので完全ノンフィクションではありませんのでご了承くださいm(_ _)mそんなこんなで、もちろん、ご本人の許可はとってありますが念の為に名前は伏せ字にしてあります。

その1~3の全3回に分けて、アップしていきますので乞うご期待!!

本文中には当時の状況も同時にお勉強できるように赤字の部分はいろんなホームページにリンクするようになっていますので、「?」があればクリックしてみてくださいね。因みに画像はイメージしやすいように、載せていますので、本文とは一切関係はありませんのであしからず。

では、「ピンゲラップ島からの脱出」 その1 はじまりはじまり~

 

『ピンゲラップ島からの脱出その1

~南国の楽園ピンゲラップ島~』

 

1.ここはミクロネシア諸島に浮かぶ、南海の孤島「ピンゲラップ島」当時10代であったTさん達8名は日本軍に気象情報を届けるため、この島に駐在していました。島には基地と宿舎と無線通信の為の鉄柱が4本立っていました。dv381003images

補足:当時、ミクロネシアは第一次世界大戦以後、先の終戦まで続いた日本の統治時代であり、Tさん達が配属されてのは、南洋庁気象台の測候所という観測所の一つでありました。→ピンゲラップについては次の2つを参照してください。①ミクロネシア連邦 ②ピンゲラップ

※何故か色盲で有名なピンゲラップ島。ピンガラップと発音することもあるようですが、今回はピンゲラップで統一しています。

2.当時、日本軍は南方作戦によりその勢力を太平洋で拡大していました。駐在当初、ピンゲラップ島には連合軍の攻撃もなく戦時中ながら穏やかな日々が続いていました。

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補足:戦後のピンゲラップ島は、水爆実験の為に放射能汚染地域になるなど、受難の島のようです(T_T)

3.「Tさん、コンニチワ」コンパの島民オブライアンがやってきました。コンパとは当時、駐屯していた日本人にお世話役として付いた島民のことです。「今日は魚取りにいきましょう!」

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補足:よくやった漁は「トビウオ漁」だったそうです。夜に松明ともして飛んでくるトビウオを採るんですって!そして、獲物は絶対にその漁に参加した全員で身分や貢献度なんかに関わらず、平等に分けるのが決まりだったそうです。「取り分が多すぎて困ったわ。」T氏談

4.ピンゲラップ島の島民たちはとても温厚な人たちで占領国である日本人にも気さくに接しました。こうしてTさん達8名の日本人の気象官は、仕事の合間や休みの日には島民たちと果物を取ったり、カヌーで魚を取りにいったり、運動会をしたり、宴会をしたりと、とても楽しくすごしていたのでした。

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補足:当時の日本軍は結構、現地の人々と良い関係を作っていたようです。占領軍とかいうとイカツイですが、みんな人間同士ですからねー。戦後生まれの我々のイメージとは少し違うようですよ。

5.しかし、そんな生活も長くは続きませんでした。日本は連合軍の反撃に会い南方での勢力を次第に弱めていったのでした。そして、とうとう平和なピンゲラップ島にも連合軍の爆撃機がその上空を飛びまわるようになったのでした。

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補足:最初は威嚇に上空を飛ぶだけだったそうです。ちなみにこの時T氏達はみんな常にフンドシいっちょで生活してたそうですよ。

6.当初は、爆撃を恐れ隠れていたTさん達でしたが、毎月20日の朝に上空を旋回して帰っていく連合軍の爆撃機を海岸で見物するようになっていました。

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補足:爆撃機が飛んでくる日や時間は、ほぼ決まっていたようです。どうも日本が南方での制空権を失いだした、1943年前後のことのようです。

その2に続く~

次回予告!!ピンゲラップの南国ライフを満喫していたTさん達にも、とうとう連合軍の攻撃の手が!!Tさん達日本人とピンゲラップ島民達の運命やいかに?!

kawaguchi

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